理事長ブログ「うみがめ便り~カンボジアと中国のはなし」

2023/05/23

前回のうみがめ便りは次の一文で括らせていただいた。「内戦終結後の30年、彼女とその家族のように、前向きに努力し懸命に生きてきた人々の多くが豊かさを手に入れていることを実感した」
 
これはカンボジアの、私がかつて滞在した田舎町における話である。同国は、国土が限られていることもあり、30年間の復興過程で全国的にインフラが整備され、人々の生活を支える経済活動は活発化し、著しい経済成長を遂げた。
 
しかし一部のウォッチャーによると、同じ期間、決して民主的とは言えない、むしろ独裁に近い政権が続き、自由な言論には常に疑問符がつきまとったと評価されている。「出る杭」と目された政敵はことごとく打たれ、政治活動の場を奪われた。そして、経済的利益は一部の権力者に吸い上げられたとまで言われている。
 
2018年の国民議会選挙(総選挙)では、日本を含む国際社会の支援を巧みに利用し、また最大野党を解党に追い込むことで、政権与党が国会の全125議席をすべて独占するという離れ業まで成し遂げた。現在、解党させられた野党の分派が小規模の政党を作り、またかつての政権政党が野党に転じて活動を続けたりしてはいるものの、まだ勢力図に変化をもたらす規模には至っていない。

地方都市の中心地におけるにぎやかな様子

一般的に「開発独裁」と形容されているが、カンボジアに限らず、アジアの多数の国は、一党支配、もしくは専制的な政権下において顕著な経済発展を遂げてきた。その良し悪しや功罪の評価は専門書に譲るが、短期的には、民主的政治体制と経済発展との間に相関関係はない、つまり、民主的政治体制下でなくても経済発展は可能という見方が優勢のようだ。
 
むしろ、社会インフラの整備と海外市場へのアクセスを伴う経済発展の達成後に、教育や医療、福祉などの社会発展が促され、その帰結(配当)として民主主義の成熟度が高まるのが現実だとも言える。
首都の発展ぶりを示す高層ビル

では、カンボジアの経済発展はどのようにもたらされたのか。経済の専門家ではないので確固たることは言えないが、以下5つの理由を挙げたい。
 
まず、1) 海外、特に中国からの直接投資が近年飛躍的に伸び、一次産業に加え、縫製業をはじめとする加工貿易、観光、あるいは金融などのセクターが急速に拡大した。また 2) 政府が最低賃金の大胆な底上げを行ったため、労働者の多くがその便益を享受した。さらに 3)人口増加に伴い、高い食料需要が喚起されたため、農畜産業、漁業に従事する人々の収入も増加した。4) 主に都市近郊や幹線道路沿いの土地価格が上昇したことで、不動産や、教育、医療への再投資が行われた。5) 経済の発展に連れて、将来を支える若い世代が育成され、強靭な消費力、デジタル化社会の構築にもつながった。
 
特に1) については極めて顕著であり、日本貿易振興機構(JETRO)の分析でも、中国からの投資は他国のそれを圧倒しており、ある意味カンボジアは中国の一つの省であると言っても過言ではない。首都や南部の港湾のちまたで中国語を聞かない日はない。
 

一部の方々にとってはあまり耳あたりのよい話ではないと思うが、中国からの投資、開発支援がなければ、カンボジアは今のような発展を遂げていなかったと考えられる。かつて日本の自衛隊が均し、今回も私が利用した国道3号線の整備も中国抜きには語れない。そうでなければ、大量の日本車が走ることもなかったであろう。
国道3号線の様子

中国の影響力がどれだけカンボジアの開発独裁、政治的抑圧に影響を与えたかは定かではない。また、開発の質や発展の度合いについては議論の余地も残る。ただし、私が直接自分の目で見た首都の発展ぶりやチューク郡の人々の暮らしに代表されるように、中国の支援による同国の経済成長と社会の発展への寄与そのものが否定されることはないと考える。
 
いかにも表層的な分析ではあったが、カンボジアが内戦後30年で顕著な経済発展を遂げたこと、またその背後に中国による大規模な支援があったこと、しかし民主的な統治については道半ばであることをお伝えした。果たして、カンボジアの近未来はどのような運命をたどるのであろうか。発展と平和が持続されるのだろうか。
 
その試金石とも言えるのが、今年7月に予定されている国民議会選挙(総選挙)である。同国の歴史の一コマに関わった人間(カメ)として、今後の情勢に注目していきたい。
 
 

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この記事を書いたのは
鈴木 俊介(すずき しゅんすけ)
理事長


大学で法学と国際関係論を学んだ後、民間企業に就職。国連ボランティアとして派遣された国連カンボジア暫定統治機構や、国連南アフリカ選挙監視団における経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。米国の大学院で国際開発学を学んだ後、ミャンマーでのプロジェクトへの参画を経て、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々なプロジェクト運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは鬼ノ城跡、豪渓。神奈川県出身。

 

 
 

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