前方に、鮮やかな旗がはためいているのが見えました。それは、天、風、火、水、地を表す5つの色からなる、チベット仏教の祈祷旗です。幾重にも重なるその旗は、そこが山の頂であることを示し、これまでにそこを訪れた数知れない人々が大自然と出会ってきた軌跡を表しているように感じました。一瞬、周囲の音が遮断されたような無音の感覚に包まれました。私には、それがあまりにも尊いものであるように見え、自分が先人たちと同じようにそこに立ってもよいのか少し躊躇しました。
次の瞬間、“You have done it!”と、近くにいた白人トレッカーに声をかけられました。そして私は、目指してきた5,360mの頂きに到達したことをようやく実感しました。
“Yes! I have done it!!” 白人のおじさんと笑いながら涙がこぼれました。
麓を出発してから4時間、太陽が少し西に傾きかけ、シェルパ爺のお気に入りである「夕暮れの絶景」が始まろうとしていました。夕方のゴーキョ・ピークには驚くほど人が少なく、皆それぞれが居心地のいい場所を見つけ、自分だけの景色を楽しんでいました。私も、頂上地点から少し離れた平らな岩の上で、チョコレートを食べたり寝転がったりしながら、雪に覆われた8,000mの山たちが少しずつオレンジ色に染まっていくのを眺めていました。夕焼けが群青色の空にうつり変わり、半月が現れ、その月明かりだけで見える雪山もまた格別でした。この景色を私に見せたいと思い、辛抱強く一緒に歩いてくれたシェルパ氏が、この時ばかりはたいそう男前に感じられました。
「明日の朝までここにいて朝焼けも見たいねぇ」という私に、「夜の間に凍え死ぬよ」とつれなく言い放つ爺。実際、暗くなり始めると一気に気温が下がります。仕方なく、4時間かけて登って来た道を2時間半でかけ下り麓のロッジに戻った時には、うっすらと雪が積もっていました。