続・「貧困撲滅のための国際デー」に寄せて / 理事長 鈴木俊介

2016/10/21

先日、前編を以下のように括った。

「マイクロファイナンスプログラムの受益者から、自身や家族の将来の夢や希望を聞くことができるであろうか。大海の一滴ではあるが、ミャンマーの歴史が大きく動く中で、この国の発展と貧困の軽減に寄与できることをとても幸せに感じている。」少々大げさな表現であったが、4年ぶりに受益者に会い、言葉を交わし、村の風景の一部を眺め、受益者家族、ミャンマーの確かな未来を感じた。

雑貨商店の前で
雑貨商店の前で
自動織機
自動織機
縫製作業
縫製作業
変化の象徴
変化の象徴

今回の訪問の目的は、民主化後の新しい政治経済の枠組みに伴い農村にも及ぶ変化の波と、生活者への正負の影響について理解を深め、マイクロファイナンスに係る新しいニーズを模索、確認することにあった。従って、プログラムが実施されている64村のうち、比較的変化の大きい村を選択的に訪問することとなった。急激な経済環境のうねりに飲み込まれていないか、小さな村にも存在する持てる者と持たざる者との格差が拡大していないか、そんな杞憂もあった。しかしながら、村の女性たちの決断と努力、ビジネスセンスと自己管理能力の高さ、さらに仲間同士の協力(助け合い)の強さは、私の乏しい想像力をはるかに超え、驚きと感動をもたらした。彼女たちは、10年以上にわたり提供された小口融資と健康教育などによる外部のサポートを上手に活用し、自身の生活を少しずつ改善してきた。もともと身に着けていた誠実さと強い仲間意識に加え、会合の度に行われる定期的な返済と貯金は、金銭に対する意識と規律を一層高めることに役立った。以前は農地を持たず日雇い労働に従事していた女性が、今は農地を所有し、収穫物を市場で販売している。毎年実施される継続的な融資は、農業、家畜飼育、小規模の交易と小売り、菓子の製造と販売、機織や縫製等々、収入の多様化につながり、生計リスクの軽減と生活基盤の安定化に役立った。そして結果として、今にも倒れそうな細い支柱に竹の壁と茅葺屋根の家の多くが、今や太い柱とトタン屋根の丈夫な家に立て替えられた。15年前の2千円、その後の毎年の5千円~2万円程度の小規模融資、農業や畜産、お菓子作りなどの職業訓練、健康教育、定期的な会合と返済などの総合的なサービスの提供が、彼女たちの生活、人生に大きな影響を与えたことは疑いの余地もない。ここに至るまで、このプログラムにご協力頂いた多くの皆様に、心からの御礼をお伝えしたい。そしてご支援が大きな実を結んだことを改めてご報告したい。

しかし今回、それらすべてが、彼女たちとその家族が「その日」を迎えるまでの長い長い準備期間であった、否、そういう側面があったことを知ることとなった。それは、10年前、否5年前の農村の生活を知る私にとってあまりに衝撃的であった。現時点では極端な例かもしれないが、以下をお話ししたい。

窓一つ分の小さな雑貨店は、壁面幅の雑貨商店に代わり品揃えも豊かになり、夜になっても店は閉まらない。多くの受益者が携帯電話を所有し、収穫物の取引情報を入手している。多くの家屋にアンテナが設置されていて、夜になると皆でテレビを見ている。恋愛ドラマか?と訊くと、保健や経済に関するためになる番組もあるわよ、と笑う。井戸の多くは手押しから電動のポンプに代わった。ご飯を炊くのは炭ではなく炊飯器だ。夜なべ作業や子供たちの宿題を後押しするのは、もはやロウソクではない。彼女たちははにかみながら、寝る時間が短くなったと言う。もうお分かりであろう。この特別な(しかし数年後には普通になるかも知れない)農村の生活を一変させたのは、ここ3~4年の間にもたらされた「(24時間の)電化」である。

家庭生活だけではない、一部の村には産業革命が起きている。手動のミシンや足踏みの機織り機は、電動のミシンや電動の自動機織り機に取って代わった。小さな小屋に十数台のミシンが並び、若い女性が器用にミシンを動かし男物のシャツの縫製に従事している、あるいは、同じサイズの小屋の中で、数台の機織り機がカシャカシャと大きな音を立ててチェック柄の布を編み上げている風景は圧巻である。働き手の一日の稼ぎは200円から500円だと、誇らしげに語る。それは150円から300円の農業の日雇い作業よりも割が良いようである。彼女たちが行っているのは微々たる生計向上ではない。紛れもない小規模ビジネスへの投資である。我々のプログラムからの原資だけでは足りない。それを可能にしているのが、仲間内の共同貯蓄、他のマイクロファイナンス機関からの借り入れである。共同貯蓄は、頼母子講と同じシステムで、皆で貯蓄した額を順番に活用していく制度であり、仲間同士の信頼関係が不可欠である。また民主化後、AMDA以外にも規模の大きな米国系、シンガポール系の団体がメティラ市にも荒々しく参入してきた。選択肢が増えることは良いことであるが、モラルハザードによって貸し手のリスクも大きくなるため、現在受益者を対象に金融教育を実施しているところである。

近年、政府によってマイクロファイナンスに係る法令や制度が整備されてきており、金利や自己資本率に関する制約が課されるようになった。全体的には大きな進歩であると言って良い。しかしインフレ率が高いため、既存の標準融資額から得られる金利だけではサービスの提供に係るコストを回収できず、一人当たりの融資額を増やさなければ収支のバランスを維持することはできない。また顧客(受益者)の平均的な資金ニーズも増加しており、需給両サイドの理由から、より大きな資金の投入を必要としている。

以上のように、波は河岸に立つ人々の足元に及び、新しい模様を描き始めている。プログラムは運営面においても新しい局面を迎えている。我々は以下の5点を今後の指針として検討している。
1. 新しい経済環境下、他団体との競合下におけるニーズの把握と、それらに応じた小規模ファイナンス商品の提供
2. 受益者のビジネス、生活設計に対応した貸付額や返済方法の柔軟性の確保
3. 優良顧客へのサービスを拡充しつつも、貧困層へのサービスを必ず継続すること
4. 顧客管理、財務管理の効率化と適正化の推進
5. ミャンマー国内や日本国内における情報の発信と、本プログラムへの理解者、支援者の増加を通じた貸付原資の確保

以上を通じ、ミャンマーの乾燥地域にある対象地において、本プログラムの拡充を通じた村々の底上げを図り、大きな変化の渦中にある人々の貧困軽減、生計向上に一層貢献できればと願う。今後も引き続き、支援者の皆様のご理解とご協力を賜ることができれば幸甚に思う。

「貧困撲滅のための国際デー」に寄せて / 理事長 鈴木俊介
金融教育:商売を始める準備について顧客に説明するローンオフィサー(中央)
金融教育:商売を始める準備について顧客に説明するローンオフィサー(中央)
融資を回収するローンオフィサー(手前)と顧客
融資を回収するローンオフィサー(手前)と顧客

10月16日、私はミャンマーを久しぶりに訪ね、ヤンゴンから北へ向かって走る高速バスの中にいる。ミンガラドン空港の北側にあるバスターミナルから乗り込み、一路マンダレー地域のメティラ市を目指している。かつて2002年から4年間続いたプロジェクトを実施していた時分は夜行バスに揺られ、12時間以上かけてヤンゴンとの間を行き来していたが、今は概ね7時間の旅である。バスの車体も欧州仕様のためか、座席間隔が広く、リクライニングも快適である。途中休憩所に立ち寄ったが、大きなファミリーレストランがあり、清潔なトイレが完備されていた。バスの乗客、レストランやトイレの利用者、皆「昔からそこにいたような顔」をしており、私だけが浦島太郎状態だったようだ。再びバスは滑るように高速道路を走った。目の前には、青空と木々の緑の絶妙なコントラストの中を太陽の光で輝く高速道路が真っ直ぐ、地平線まで伸びていた。まさにこの国の将来を暗示しているかのようである。ただ、道路の周囲には10年前と変わらぬ田園風景が広がっており、今後「点と線」の開発から「面」への展開が期待されるところである。

この国の発展のページを開いたのは、紛れもなく民主化であり、その流れを作り出し軌道に乗せている新旧政府の努力と、国民の忍耐に賛辞を送りたい。もちろん、現時点では社会インフラや人材に関する難はあるものの、元々識字、教育レベルは低くなく、海外からの投資は勢いを増し、商業銀行のビジネスや個人向け小規模融資のネットワークも拡充している。米国による経済制裁解除の方向性も定まったため、遅かれ早かれ産業に貢献する質の高い人材が養成され、地場産業も育つであろうと予想される。一時は全国平均25パーセントを超えていた貧困率も急速に改善されると考える。1960年代半ばまで、東南アジアの中心地であったビルマは、再び輝きを取り戻しつつある。

ただ、前途洋々に見えるミャンマーにも落とし穴はあるようだ。詳細なリスク分析は専門家に譲るとして、今年4月に歩み出した新政権の経験値の低さに対する不安はまだ払しょくされておらず、政権成立前にも存在していた地域間格差は一層拡大すると考えられ、民族間・宗教間の対立要素は今も燻っている。また、かつて社会主義路線への転換の引き金の一つとなったのは外国資本による過度の不動産所有とも言われており、潜在的な排他意識の顕在化リスクも潜んでいる。新時代が開けたとはいえ、今後大波小波の洗礼はあるだろう。

さて、余談が長くなってしまったが、当法人はメティラ郡で15年以上にわたり、貧困削減を念頭においたマイクロファイナンスサービスを提供してきた。「貧困」には、絶対的貧困と相対的貧困があるが、我々は前者を課題と捉え、コミュニティの女性とその家族に対するサポートを続けてきた。一世帯への年間の貸付額は平均1万5千円である。市場で販売する生鮮類の仕入れ額を増やす、家畜をもう一匹、もう一頭飼う、村内のキオスクにおける品揃えを良くする、足踏みミシンを購入する、肥料や種子をもう少し購入する、そんなプラスアルファのサポートを行ってきた。すでに受益者は4千人を超え、結果として、子供の教育費を工面できた、大学まで進学させることができた、家屋を改修できた、市場でより広い売り場を確保できた、食事の回数、質を改善でき健康になった等々の効果が受益者によって語られている。
マイクロファイナンスの祖と言われているバングラデシュのムハマド・ユヌス教授は、貧困は人間が作り出したものだから、人間の努力によって解決できると述べている。貧困の削減には、政府による全方面にわたる努力と国際社会からのサポートを通じた環境整備、そして各世帯、各コミュニティの自助努力はもちろんのこと、ニーズに沿ったサービスを提供する組織の存在が不可欠である。

貧困の定義には様々あるが、世界銀行は現在、一日当たり1.9ドル以下の生活を強いられている状態と説明している。もちろん、数値を用いた尺度だけで貧困を計測できるものではないが、一面を示していることは間違いない。また一方で、貧困は社会開発、人間開発の選択肢が極めて限られている状態であるとも定義できる。より易しい言葉に換言すると、現在の生活に困窮し、また自身の人生や社会に夢や希望が持てない状況とも言えるであろう。

明日、この国際的な節目の日に、マイクロファイナンスプログラムの受益者に会うことができる。彼女たちから、自身や家族の将来の夢や希望を聞くことができるであろうか。大海の一滴ではあるが、ミャンマーの歴史が大きく動く中で、この国の発展と貧困の軽減に寄与できることをとても幸せに感じている。