こんなときこそ、地域のために ホンジュラス事務所 陰山亮子
ホンジュラスの首都テグシガルパ市で、地域のために奮闘する「あのときの、若者たち」をご紹介します。
「あのときの、若者たち」とは、AMDA-MINDSが2013年から取り組んできた「住みやすいコミュニティづくり事業」で育成した約80人の若者リーダーだった「子」たちのこと。当時、少しやんちゃな?!高校生だった「あのときの、若者たち」も今はもう、「子」とは呼べない立派な大人になりました。既に親になった人もいれば、働きながらも大学への進学がかない、事業をきっかけに、地域の青少年や助けが必要な人たちのためになる仕事がしたい、とソーシャルワーカーを目指し、将来の夢に向かってまい進中の人もいます。
さて、新型コロナウイルスは、ホンジュラスでも蔓延を続けています。今年3月11日に一人目の感染者が確認され、翌3月12日には入国制限が、また15日には国境封鎖と外出禁止令が発出される等、国をあげて感染拡大の防止策がとられてきましたが、感染者数はいまだ減少傾向に転じていません。テグシガルパ市では労働ができないことで収入を絶たれ、家賃を払えず、家を追い出されてしまった人たちのために、市の「子どもと青少年の人権保護委員会」が中心となって避難所が設置されました。
この委員会に所属する数名の「あのときの、若者たち」から、避難所に滞在する子どもたちのために、簡易マットや遊具、食糧などの支援ができないかと相談を受けました。そこで、過去の活動で使用したのち、いまは使っていない遊具を寄贈しようということになり、準備はしたものの、ちょうど外出規制が変更された影響で避難所に届けることはできませんでした。外出規制が緩和されるのを待っている間に避難所のニーズが変わってしまい、支援は仕切り直しとなりましたが、「あのときの、若者たち」は次のニーズに応えようと、早速新しいアイデア「子どもたちの精神的ケアの一環として、少人数での映画鑑賞会の開催」を検討しているようです。
外出禁止令を出した3月の後半から、ホンジュラス政府は支援策として住民に食糧を配付しているのですが、その際にも「あのときの、若者たち」と、若者たちを尊重し、サポートしつつも負けじと頑張る大人のリーダーたちが地区ごとの配布状況を確認しあい、配付の遅れや偏りがあれば各地区の配布担当者と交渉するなどして活躍しています。また、「あのときの、若者たち」が地域の子どもたちのためにと遊具を設置し、壁に絵を描いた幼稚園では、若者たちの活動に感化された先生が、地域のためにと園の保護者の協力を取り付け、地区で最も支援を必要としている子どもがいる家庭に優先して食糧を配布できるよう、調整したそうです。
コロナ禍の厳しい状況にあっても、「あのときの、若者たち」の活動が、住民自身が自分たちの住みやすいコミュニティづくりのために奮闘しようとするきっかけを提供し続けています。
貧困、犯罪の若年化、高い殺人率、若年妊娠、そしてコロナ禍。ホンジュラスの若者を取り巻く環境は、決して穏やかなものではありませんが、これからも青少年の育成を通じた「住みやすいコミュニティづくり」の歩を進めていきたいと思います。