ホンジュラスのコミュニティグループを通じて被災者へ食料品を届けました
海外事業運営本部 林裕美
11月に入って間もなく、大西洋上で大型のハリケーンEta(エタ)が発生しました。3日に中米ニカラグアに上陸した後、そのままホンジュラスへ移動。勢力を弱めて熱帯低気圧になったものの、ホンジュラスを縦断し、同国や近隣国に大きな被害を及ぼしました。
AMDA-MINDSの事業対象地であるエル・パライソ県では、1998年にホンジュラスを襲ったハリケーン・ミッチにより甚大な被害を受けたトロヘス市で、川の氾濫で家が押し流され、亡くなった方も数名ありました。同国内では特に北部の県で、川の氾濫、洪水、土砂崩れなどが発生して死者が出ているほか、家を流された人、救助が来ないまま浸水した自宅の屋根の上で6日間を過ごした人など、現在までに避難民約1万人、被災者総数は約164万人と発表されています(11月6日付、ホンジュラス政府発表)。首都のテグシガルパでも、現地スタッフ一人の家が崩壊し、持ち物をすべて捨てて逃げるということがあったそうです。家族がみな無事だったのは不幸中の幸いでした。
そのような中、同じテグシガルパ市内の一画、傾斜地で地盤も緩いと言われているビジャ・ヌエバ地区では、大雨と土砂崩れにより家屋が浸水してしまった住民が、隣の地区に避難してきました。迎え入れたのは、かつて私たちが「住みやすいコミュニティづくり」を支援したアト・デ・エンメディオ地区。その後もコミュニティづくりを自らの手で引っ張ってくれているリーダーたちとは、事業終了後も連絡を取り合っており、すぐに電話がかかってきました。
「命からがら逃げてきた隣人に何かしてあげたいが、力を貸してくれないか」
駐在員の同意を得た彼らは、すぐさま必要な食料品のリストを作り、お米、フリホレス(インゲン豆の一種)、トウモロコシ粉、脱脂粉乳等を購入すると同時に、近所の人に洋服や靴の寄付を募りました。購入した支援物資を避難してきた45家族に分けるため、コミュニティリーダーたちは手分けして作業を行いました。「自分たちも被災していたかもしれない。今回、幸いにも自分の家族や家が無事だったのは、被害に遭った人のために何かすべきということだと思う」。困ったときはおたがいさま。リーダーたちは一生懸命でした。
支援を受け取った人々から、心からのお礼の言葉を受け取ったリーダーたち。コロナ禍での被災者の不安に寄り添い、いつものように「自分たちにできることはないか」ということを考えての行動でした。常にできることを考え、そして実行している姿には、ただただ敬服するばかりです。
なお、この支援活動は、AMDA鎌倉クラブからのご寄付により実施することができました。温かい支援の輪が、日本からホンジュラスへと広がり、人々を勇気づけています。
コミュニティグループの活躍に、これからもご注目ください!!
林裕美(はやしひろみ)
海外事業運営本部 プログラムコーディネーター
1993年のカンボジア総選挙で、選挙監視の国連ボランティアとして活動していた日本人が現地で殺害された事件をきっかけに、国際協力に関心を持つ。大学卒業後、民間企業を経て2001年にアムダ海外事業本部(AMDA-MINDSの前身)入職。カンボジアでのコミュニティ開発事業、インドネシアでの復興支援事業に従事後、2007年から現職。趣味はピアノ、読書。岡山のお気に入りスポットは、岡山県自然保護センター。福岡県出身。