森の人・オランウータンのふるさとへ
海外事業運営本部 梶田未央
こんにちは、みなさん。アパ・カバール?(インドネシア語で「お元気ですか?」)。
インドネシア事業担当の梶田です。
突然ですが、オランウータンがどこで暮らしているかご存じですか?
正解は、スマトラ島とボルネオ島(インドネシアではカリマンタン島と呼ばれています)。野生のオランウータンは世界でたった2つの島にしか生息していないんです。彼らは熱帯雨林の中でも、特に低地の湿潤なジャングルを好みます。樹上生活が中心なので、木々が密集し、枝から枝へと移動できるような環境が必要なのだそうです。さらに豆知識ですが、「オランウータン(Orangutan)」とは、インドネシア語とマレー語で「森の人」を意味します(Orang=人、Hutan=森)。ジャングルを縦横無尽に駆け回る彼らにぴったりの名前ですよね。
そんなインドネシアを代表する野生動物オランウータンに会いに、タンジュン・プティン国立公園へ行ってきましたので、今回はその時の様子をご紹介します。
タンジュン・プティン国立公園 国立公園内のオランウータン
面積約4,000平方メートルのタンジュン・プティン国立公園は、ボルネオ島のインドネシア領、中部カリマンタン州にあり、オランウータンをはじめとする数多くの野生動物の生息地として知られています。広大な熱帯雨林と湿地に覆われている公園内は、そこで暮らす約5,000頭のオランウータンにとっても理想のジャングルです。
首都ジャカルタを出発した私と友人は、1時間ちょっと飛行機に乗り中部カリマンタンに到着、そこから車に20分ほど揺られるとタンジュン・プティン国立公園の入り口である船着き場にたどり着きました。ここからは公園内の移動も食事もシャワーも寝るのも船上という、2泊3日のボート旅の始まりです。
夜明けとともにジャカルタを出発する飛行機で、いざボルネオ島へ! 2泊3日お世話になったボート、乗組員は船長さん、見習い水夫さん、コックさん、ガイドさん、そしてお客の私と友人という6人
国立公園内にはオランウータンの保護団体が運営する給餌場が数十か所あり、色々な事情で保護されたオランウータンがリハビリを経て森に帰され、自分で十分な量の餌を見つけられるようになるまで、毎日決まった時間にフルーツが届けられる給餌場へ食事にやってきます。
私たち観光客は数か所の給餌場にお邪魔して食事中のオランウータンを観察するという仕組みですが、森に食べ物が豊富なときは給餌場に誰も現れないこともあり、逆に森で採れる果物が少ない時期には普段は寄り付かない野生のオランウータンやほかの動物が来ることもあるそうです。
船着き場からのんびりボートに揺られること約2時間、ボートを降りて30分ほど森のけもの道を進むと、まずは最初の給餌場に到着です。バナナやサツマイモが満載されたかごを背負った保護団体のレンジャーたちが給餌場に到着すると、木の枝を揺らしながらどこからともなくオランウータンが現れます。
給餌場にやってきた赤ちゃん連れのオランウータン 他の大きなオスが給餌場から立ち去るまで距離を取って待っている若いオスのマルコ
私たちが訪れたのは森の恵みが余り多くない時期だったようで、森に帰されたばかりの若い個体や、赤ちゃんを連れたお母さん、顔の大きな大人のオスなど、3日間のうちに合計3か所の給餌場で20頭以上のオランウータンを観察することができました。オランウータンだけでなく、ときにはリスやテナガザルがやってくることも。
オランウータンの観察も楽しかったですが、青い空と熱帯雨林の緑、少し茶色がかかった川のコントラストが美しく、その中をボートで進んでいくのも思い出深かったです。ガイドのデルウィンさんの、「川にはワニが潜んでいるので落水しないように」という注意もジャングルクルーズの臨場感を盛り上げてくれます。
小さな川をホテル兼交通手段のボートで進む ガイドのデルウィンさん
そして、夜になるとレンジャーに連れられて真っ暗なジャングルを散歩に出かけます。擬態して木々に上手に溶け込むナナフシ、けもの道を横切るジャコウネコ、枯葉を踏む音で起こしてしまった眠そうな極彩色の鳥など、夜のジャングルは昼とはまた違った表情を見せます。私は遭遇しませんでしたが、運がよければヒョウも見られるとか。
寝ているところを起こしてしまった鳥 夜はこのベッドの上に蚊帳をつって寝ます
夜の散歩も終わり、就寝の時間。オランウータンたちは毎晩木の上でふかふかの葉っぱを上手に組み合わせたハンモックのような寝床を作って寝ますが、船上の我々は蚊帳をつり、夜風に吹かれながら眠りにつきます。涼しくてちょうどよい気温だったのか、ボートのわずかな揺れがよかったのか、ジャングルトレッキングでの疲れか、今年もっとも熟睡できた二晩でした。
オランウータンに会え、雄大な自然を満喫し、さらに安眠することもできる大満足の2泊3日の旅でした。
海外事業運営本部 プログラムコーディネーター
大学生の時、アムダのインターンとして、スリランカで医療和平プロジェクトに参加。初めての海外に興奮。異国の人々と共に手を取り合い、課題解決に立ち向かう仕事に魅了され、国際協力の道へ。大学卒業後、2005年にアムダ国内事業部入職。以降、ベトナムやインドネシアでプロジェクトに従事。今年は20年ぶりにスリランカへの旅行を計画中。今なら三輪タクシーの値段交渉も負けない自信があるが、果たして2025年現在も値段交渉制なのかはわからない…。岡山県出身。

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