15年ぶりにヤンゴンを訪れた私がカメラに収めた風景
海外事業運営本部 竹久佳恵

2026/07/17

15年ぶりにミャンマーのヤンゴンを訪れました。2010年にミャンマー駐在から本部勤務に異動となってからは、ネパールやインドネシアの事業に関わっていましたが、この6月からミャンマー事業担当に異動。月末にはヤンゴンへ出張する機会がありました。

 

ヤンゴンの様子。手前の横に長い建物がヤンゴン中央駅。左に見えるのがアウンサン・スタジアム。ちなみに、サッカー日本代表がミャンマー代表と戦ったのは、中央ビル群の奥にあるトゥワナ・スタジアム

 

15年ぶりにヤンゴンを訪れた私が目にしたのは、高層ビルや商業施設が増え、新しい車が行きかう街でした。一方で、夕方になると道端に人々が集まり、お茶を飲みながらおしゃべりを楽しんだり、買い物を楽しんだりする変わらぬ光景もありました。

  • 買い物や食事をする人で賑わうショッピングセンター
  • 船でしか行けなかったヤンゴン川対岸のダラへは、韓国の支援で完成した橋で行けるように。通行料片道500チャット(約20円)
  • 映画の舞台挨拶のためか、ミャンマーを代表する俳優ネイ・トーが映画館に到着したタイミングで前を通っていた私。慌ててカメラに収めました
  • 見慣れた赤い郵便ポスト。かつて日本から郵便分野への支援が行われたそうなので、そのタイプですね
  • 黄金に輝く高さ約100メートルの仏塔、シュエダゴン・パゴダ。ミャンマーのシンボル的存在
  • パゴダ周辺の路地。人も街もゆったりとした時間が流れる夕方は、私の好きなひととき

離任当時、2010年のヤンゴンには、高層ビルはほとんどなく、道路を行きかうバスやタクシーは古いものばかりでした。ヤンゴンに限らず、どの国のどの街でも、その風景を大きく変えるのに十分な歳月かもしれませんが、この15年の間に、民主化、コロナ禍、政変、経済停滞、地震被害…といった単語の羅列だけでは語りつくせない様々な出来事が、この街にはありました。

 

それでも、朝になると店を開け、学校へ向かい、家族と食卓を囲む人々の暮らしは続いています。そう、私が再会したかったのは、大きく変わったヤンゴンではなく、そこで暮らす人たちだったのです。

  • ヤンゴンの対岸、ダラの街で。くしやヘアピンを売る雑貨店(左)とチキン店(右)
  • 托鉢の行列

15年ぶりのミャンマー業務で、私自身がこれから勉強し直さなければならないことも数多くあります。もう一度、この地で暮らす人々に寄り添いながら進んでいきたい…、そんな想いを新たにした出張となりました。

 
 

この記事を書いたのは
竹久 佳恵(たけひさ よしえ)
海外事業運営本部 プログラムコーディネーター


沢木耕太郎や小田実の本に影響を受け、民間企業を退職してバックパッカーの旅へ。その際訪れたネパールの片田舎で老婆を助けたことをきっかけに、国際協力に関心を持つ。帰国後、アムダグループの「援助を受ける側にもプライドがある」という言葉に共感し、2002年にアムダ海外事業本部(アムダマインズの前身)入職。働きながら開発学修士を取得。ベトナム、カンボジア、ミャンマーに駐在後、2010年から現職。プロバスケチーム「トライフープ岡山」の応援と、韓流ドラマ視聴が日々の楽しみ!岡山県出身。

 
 


 
 

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