ばぁばとじぃじと、時々、オトン 本部事務所 竹久佳恵

2019/06/21

ネパールに出張してきました。今回の出張先は、インドとの国境沿いに広がるタライ平野に位置するダン郡ガダワ地区。ここで2月下旬に始まった新しいプロジェクト「母子の健康格差是正事業」の初動体制のモニタリングが、主な任務でした。
 
現地ではちょうど、事業開始時のベースライン調査が終盤に差し掛かったところ。2つの集落での世帯調査とFGD(Focus Group Discussion、ある特定のテーマについて通常8~10人ほどのグループで議論してもらい情報を得るフィールド・ワークの情報収集技法の一つ*)に、運よく同席することができました。
 

舗装路が整備されていない集落も一つひとつ徒歩で訪問して調査。途中で野猿に遭遇!

 
FGDでは、母子の健康に関する地域特有の風習について話題になったのですが、その一つが、分娩後、切った赤ちゃんのへその緒に冷えたカレーを塗るというものでした。集落によって塗るものが灰だったり、牛糞だったりといった違いこそあれ、タライ平野ではこうした迷信が少なくなく、他にも赤ちゃんの体調が悪い時に地酒を飲ませるなど、内容は様々(ちなみに、皆が皆、そうしているわけではありません。時と場合と人による…ということを念のため申し添えておきます)。
 
特に印象に残ったのは、若いお母さんたちが口々に語った「そんなことしちゃあいけないことぐらい知ってるわよ。赤ちゃんが病気になるもの。でも義母から強制されたら、断りにくいのよ」という言葉でした。「旦那様はなんて言うの?」というファシリテーターの質問にかえってきたのは、「インドやマレーシアに出稼ぎに行ってて居ないのよ。家にいるのは私たちと義父母だけよ」という答えでした。
 
FGDに参加したお母さんたちと(筆者中央)

 
10年ぐらい前に実施していた別の母子保健事業では、こうした迷信に肯定的なお母さんもいたのですが、近年、若年層の就学率・識字率が上がるにつれ、若いお母さん層の保健知識も上がり、結果として世代間ギャップが広がっているのではないかと感じました。
 
日本でも、世代間ギャップに関する話題をよく耳にするようになっていますが、私自身も例外ではありませんでした。子育ての考え方や、私たち親世代の働き方、ましてや性別の役割分担も大きく変わりつつある中、祖父母(私の両親)が子育ての先輩として助言してくれる数十年も前の知識や経験(例えば離乳食前には果汁を飲ませるものだとか、あまり抱っこしたら抱き癖がつくものだといった、今では一般的ではないこと)には、時にイライラさせられたものです。程度の差こそあれ、こうした世代間ギャップが、ネパールでもまた若いお母さんの悩みの根源になっていること、そしてそれは今後も根深く残っていくであろうことを実感したのです。
 
スタッフ(左)が話をしているばぁば(右)は44歳。2歳の孫と一緒に。奥の木陰で紐を編むのはじぃじ。(※このばぁばは、迷信を嫁に強制しているわけではありません)

 
かといって「ばぁば、じぃじのみなさーん、それは間違った古い迷信ですよー。お嫁さんに強要してはいけませんよー」と正義感丸出しの一方的な啓発活動は、あまりしたくありません。だって、ばぁばもその義父母に、その義父母もその義父母にと、世代を通じて、時に強制という形で受け継がれてきた迷信なのだろうし、そもそもばぁばやじぃじが子育てした時代はいまよりずっと貧しく、政情も不安定で、政府による公的な母子保健サービスが行き届いていない中、迷信はなすすべがなかった最後の手段だったり、「これで大丈夫」という心の安定剤だったりしたのかもしれないし…。それを頭ごなしに否定することは、ばぁばやじぃじが苦労して子を育てた誇りや、人生そのものをも否定してしまうような気がするのです。赤ちゃんを古い迷信から守るためには、厳しくとも優しい、ちょっとした工夫が必要そうです。
 
母子保健という言葉には母と子しか出てこないけど、一番近くで母と子を支えられるのは、ばぁばであり、じぃじであり、出稼ぎから時々帰ってくるオトン。だからこそ、母と子だけに焦点を当てるのでなく、ばぁばとじぃじと、時々オトンと一緒に活動に取り組んでいきたいと思っています。育児、そして育孫の終わりに、懐かしく美しい思い出がいっぱい積み重なっていますようにと、心からの願いを込めて。
 
余談。村のヘルスポスト(診療所)で出会った赤ちゃん。四肢に結ばれた黒い紐は、邪悪なものや事故・病気を遠ざけるとされる魔除けの紐で、ネパール(を含む南アジア地域)ではよく見かけます。素材は紐だったり、ブレスレットだったり。大切にしたい美しい風習もまた、たくさんあります。
 
黒い紐が、邪悪なものから赤ちゃんを守ってくれます

*一般社団法人日本国際保健医療学会 国際保健用語集より