理事長ブログ「うみがめ便り~長く寒い冬の向こうへ」
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的感染拡大により、日本国外にフィールドを持つ人々の多くが、産官民を問わず、この一年日本に留まらざるを得ない状況が続いている。
私の場合、昨年2月にシエラレオネへ渡航した際に更新した何度でも出入国が可能な1年間の滞在許可(査証)は、一度も使用されることなく失効してしまった。過去30年以上、私は海外におけるプロジェクト現場を中心に人生の大半を投じてきた。主に雨期と乾期を繰り返すアジアやアフリカの熱帯地域で一年の約三分の二を過ごしてきたため、今年のように長く寒い冬を経験することは久しくない。現場主義の無粋な人間が自身を制御することは容易ではない。自律神経は機能しているだろうか。
ここ数年、冬になると背中やすねにかゆみを感じる。老化の一現象であることは間違いないが、寒暖と乾湿のギャップに肌が対応しきれず、専ら保湿クリームのお世話になっている。面白いもので、海外の現場に戻り、暖かさ、暑さに慣れ、適度な発汗が促されると、数日後に症状は治まり、心地よい日々を過ごせるようになる。老後を南国で過ごしたいと希望する高齢者が多い背景にはこうした理由もあるのではないか、そう遠くないうちに自身も、と考えるような年齢を迎えつつある。
さて、人間の体温(平熱)は、年齢、性別、人種など、様々な要因により個人差が認められるものの、概ね36度±1度である。外因性の事由により上下することがあるため、普通は体内の自律機能、例えば発汗や血行調節によって適度に維持されるようにできている。そしてその自律機能の働きを補完するため、人は衣服を脱着し、また居住環境や社会インフラを整えて快適な気温、湿度を保ち、また栄養を摂取し、医療を進化させ健康長寿の増進に努めてきた。
他方、常夏の国、極寒の季節を迎える国、そして四季折々の国では体温調節の方法や手段が異なるため、気温や湿度、つまり天候の変化への対応能力の発露が、(大げさな表現かも知れないが)地域特有の文化や芸術の創造に影響を与えてきた側面があると考える。人々の信仰、感性、美意識などが街のデザインや自然との調和に色濃く反映され、それぞれの景色が人々の暮らしぶりや文化、宗教の彩りと重なり合う。そしてそれらが独特の表現を放つことで、異邦人を魅了し、その結果として観光業が成立する。
間を飛ばして少し物語を早く進め過ぎてしまったが、気温と湿度の度合いと配合は、人間の生活はもとより、自然環境を決定づける。そして私のような人間は、日本と海外を行き来する過程で、秀でた自律機能と、科学や文化などの補完機能によって、厳しい自然条件を克服してきた他国の人々の営みと喜怒哀楽に触れることができ、また各地で自然の恵みを享受してきた。極寒、四季折々の気候の下では育たない南国の果物を廉価で堪能できたこともその一例である。
ひと度日本に帰国すると、任地へ容易に再渡航することができないため、事業国に留まり活動を続ける方々がいる一方で、私のように、長く寒い冬の間、日本に滞在し続けた(足止めされた)ことにより、過去の一地点から走ってきた直線道路の終着点(=交差点)に差しかかった人々も少なくないと考える。
あー、もちろん、私はうみがめ。走るというより泳ぐと表現すべきか。年を重ね、寒さには弱くなったが、海を移動することがかなえられさえすれば課題は解決する。しかしリクガメの仲間の多くは冬眠に入るものも少なくない。そうでなくても寒くなると動作が鈍くなる。冬前に十分な栄養を摂取できなかった仲間は命を落とすことさえある。そうならないうちに、「ウィズ・コロナ」に翻弄されたこの長く寒い冬が過ぎ去り、春の訪れとともに、海洋移動がかなうことを願ってやまない。