MINDS登山部 5,360メートルへの道のり 最終回 You have done it !

2014/09/16

*過去の連載を読んでいない方はこちらからどうぞ*
①準備は入念に
②出発。ルクラからナムチェ・バザールへ
③富士山より高い場所
④氷河に沿って歩く。水と岩の世界
 

目指してきた頂きの麓にあるゴーキョ(4,790m)に到着したのは、まだ陽も高い午前11時ごろだったので、お昼ごはんを食べて、「軽く散歩しながら高度に身体を慣らそう」と言うシェルパ氏の言葉はいつもと何ら変わらないものでした。予定では、ゴーキョ・ピーク(5,360m)に挑むのは翌日の朝、エベレストの後ろから昇る朝日を見よう、というものだったので、私はたいした心づもりもせずにシェルパ氏の後について歩き始めました。

 シェルパ氏が言うには、私はどうやら高度順応が早いのだそう。「多くの人は標高5,000m近くまで登ってきてすぐに食事なんてできないもんだよ」と笑われました。なるほど、確かに、ロッジの食堂で元気にダルバート(ネパールのカレー定食)を食べていたのは私だけでした。順応がうまくできるかどうかは、もともとの体質やどれだけ時間をかけて登るかなど、様々な要因に左右されるのだそうですが、私の場合、普段から1,300mのカトマンズで生活し、定期的にランニングを行っていたことで、高地に強い身体に自然となっていっていたのだと思います。「私の自己流高地トレーニングもあながちむだではなかったね」などと他愛のないおしゃべりをシェルパ氏としながらふと気がつくと、私はゴーキョ・ピークの斜面を登り始めていました。
 「あれ、今日登るの?」と尋ねると、「今日も登る」とシェルパ氏。軽い散歩で出てきたつもりが、いきなり旅のハイライトを突きつけられて、もう少し気持ちを高めて挑みたかった、だとか、心の準備が、だとかぶつぶつ言う私に、「ゴーキョ・ピークの夕暮れはわしのお気に入りなんよ」と、マイペースなシェルパ爺。おまけに、「なーに、明日も登ったらいい。山はいつでもここにあるんだから」などとのんきに言うので、そんなものかな、と安易に捉えてしまったのが間違いでした。
 頂上はとてつもなく高く、遠くに見え、目の前には険しい急斜面が続いています。後ろを振り向くと、麓のロッジが小さく並び、それとは対照的に巨大な氷河がその存在感を放っていました。彼方には8,000m峰が連なり、その中にはもちろん世界最高峰のエベレストが美しい三角形を見せています。
 10歩進んだら立ち止まって深呼吸をしなければならない、そんなペースで少しずつ歩きます。けれども、息苦しく、足が前に出ないのです。今回の道中で初めて、もうやめたいと思いました。その一方で、誰に頼まれたわけでもなく標高5,000mくんだりまでやって来て、ひたすら苦しさと葛藤している自分が滑稽にも思えてきて、どうせならそんな自分を客観的に楽しんでみたいという奇妙な高揚感がありました。それは、私なりの「クライマーズ・ハイ」だったのかもしれません。

 前方に、鮮やかな旗がはためいているのが見えました。それは、天、風、火、水、地を表す5つの色からなる、チベット仏教の祈祷旗です。幾重にも重なるその旗は、そこが山の頂であることを示し、これまでにそこを訪れた数知れない人々が大自然と出会ってきた軌跡を表しているように感じました。一瞬、周囲の音が遮断されたような無音の感覚に包まれました。私には、それがあまりにも尊いものであるように見え、自分が先人たちと同じようにそこに立ってもよいのか少し躊躇しました。
 次の瞬間、“You have done it!”と、近くにいた白人トレッカーに声をかけられました。そして私は、目指してきた5,360mの頂きに到達したことをようやく実感しました。
 “Yes! I have done it!!” 白人のおじさんと笑いながら涙がこぼれました。
麓を出発してから4時間、太陽が少し西に傾きかけ、シェルパ爺のお気に入りである「夕暮れの絶景」が始まろうとしていました。夕方のゴーキョ・ピークには驚くほど人が少なく、皆それぞれが居心地のいい場所を見つけ、自分だけの景色を楽しんでいました。私も、頂上地点から少し離れた平らな岩の上で、チョコレートを食べたり寝転がったりしながら、雪に覆われた8,000mの山たちが少しずつオレンジ色に染まっていくのを眺めていました。夕焼けが群青色の空にうつり変わり、半月が現れ、その月明かりだけで見える雪山もまた格別でした。この景色を私に見せたいと思い、辛抱強く一緒に歩いてくれたシェルパ氏が、この時ばかりはたいそう男前に感じられました。
 「明日の朝までここにいて朝焼けも見たいねぇ」という私に、「夜の間に凍え死ぬよ」とつれなく言い放つ爺。実際、暗くなり始めると一気に気温が下がります。仕方なく、4時間かけて登って来た道を2時間半でかけ下り麓のロッジに戻った時には、うっすらと雪が積もっていました。

 ロッジに到着早々、お腹がすいたと言って晩ごはんを食べている私を見て、また笑っているシェルパ氏。これなら明日の朝も大丈夫だと確信したのか、「明日は朝4時前に出発するから。ゴーキョ・ピークの朝焼けはきれいなんよ」と、爺は相変わらずのんきに言うのでした。

***終わり***

頂上までの道のり
頂上までの道のり
道中から麓を見下ろす。氷の上に砂や塵が積もって氷河は灰色に見える
道中から麓を見下ろす。氷の上に砂や塵が積もって氷河は灰色に見える
ゴーキョ・ピーク頂上
ゴーキョ・ピーク頂上
夕焼けに染まるエベレスト
夕焼けに染まるエベレスト
月明かりに浮かぶ山々
月明かりに浮かぶ山々

翌朝もぶじに登頂しました。シェルパ氏と記念撮影
翌朝もぶじに登頂しました。シェルパ氏と記念撮影