元スタッフの今を訪ねて ~東京家政大学健康科学部助教 里英子さん(前編)

2018/10/03

今回のTea Breakは、AMDA-MINDSの社会開発事業に携わった元スタッフの今を訪ねる企画です。第1弾は、ザンビアの首都ルサカ市で、スラム地域における結核・HIV統合治療支援事業の保健専門家として派遣された里英子さんです。現在は、東京家政大学健康科学部の助教として、後進の育成に取り組まれています。

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後列中央が里さん。ザンビアにてスタッフや関係者と。
後列中央が里さん。ザンビアにてボランティアらと。

このたびの7月豪雨、台風21号、北海道胆振東部地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

長年臨床で看護師として働いてきた私が、国際協力分野での経験、公衆衛生大学院への進学、臨床を経て、大学教員として、つぎはぎだらけの経験がどう繋がっていったのか、ここで振り返ってみたいと思います。

皆さんは南部アフリカにあるザンビアという内陸国をご存知ですか?アムダが支援を始めた当初は平均寿命が47歳(2017年62歳)で、感染症を中心とした多くの健康課題に直面していました。私はAMDA社会開発機構(以下、AMDA-MINDS)を通して、ザンビアの都市部にあるスラム地区で結核/HIV統合支援事業に従事するため、保健専門家として2年間赴任させていただきました。いまからちょうど10年前になります。

当時の私は、海外でボランティアの経験しかありませんでした。実績のない私をAMDA-MINDSは温かく迎えてくれました。いまでもなぜ私がAMDA-MINDSの一員になれたのか不思議なくらいです。なぜって?就職試験は穴があれば入りたいくらいの散々な結果でしたから(笑)。AMDA-MINDSの懐の深さ、同僚や本部担当者の多方面からの支援、そして支援者皆様の善意なくして、私のザンビアでの活動は成り立ちませんでした。心からお礼と感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。

当時のザンビアは多産多死の国で、多くの人が感染症に苦しんでいました。加えて近い将来、慢性疾患が増えていく(Double Burden:感染症と慢性疾患の二重負担)ことも容易に推測できました。資源が乏しいからこそ、クリエィティビティがはぐくまれ、たくましく生きていく人々の姿が印象的で、ハングリー精神と、常に上を目指すアグレッシブな側面も持ち合わせており、とても刺激を受けたことを覚えています。

一方で、文化や慣習、考え方や価値観、教育や医療、貧困や環境等すべてにおいて、日本との違い、格差や差異を目の当たりにし、マネジメントしていくことの難しさを実感しました。日本から遠く離れた国に長期赴任しプロジェクトを任され、成果を出さなければならないという重責に加え、日本の医療機関に長年従事してきた温室育ちの私の知識ならびに経験が不足していたのは明らかでした。ある日、リーダーシップがうまく取れないことに悩んでいた私に、現地スタッフが「自分たちは強力なリーダーを求めているわけではない、お互いの足りないものを補填し合い、自分たちの話を聞いて一緒に動いてくれる人=信頼できる人が必要なんだ」と声をかけてくれました。マネジメントしなければとの思い込みや驕りを手放すことができ、現地で大切な仲間に支えられていることを強く感じた瞬間でした。(後編へ続く)