うみがめ、ついにインドへ上陸 ~第1章「3つの理由③」

2025/06/05

日本が支援した首都デリーの都市鉄道「デリーメトロ」。朝・夕のラッシュ時に混みあう様子は日本と変わらない。
日本が支援した首都デリーの都市鉄道「デリーメトロ」。朝・夕のラッシュ時に混みあう様子は日本と変わらない。

 

前回までの寄稿で「私がインドに向かった理由は3つ」と断言したものの、よく考えると理由は4つ存在した。読者の皆様には謹んでおわびしたい。

 
1つ目の理由~24年前の記憶と再訪の決意

少し振り返ると、一つ目の理由は、24年前の西インド大地震の被災地における緊急医療支援活動で現地の方々からおもてなしを受けたにもかかわらず、以降同国を訪問する機会を積極的に作らなかった後悔の念を払拭することだった(2025年3月17日掲載「3つの理由①」)。

 
2つ目の理由~チャンパ王国とチャム族への関心

二つ目は、2世紀以降、インドから東南アジア、ミャンマー、そしてインドネシアに至る広大な地域へのインド文化、宗教、科学、関連建築様式の伝播の歴史、そしてその触媒としての役割を果たしたとも言われる海洋民族のチャム族と、彼らが樹立し盛衰を繰り返したチャンパ王国(現在のベトナム南部)の存在を知りながら、その歴史的意義、その文化の源流に関する学びを怠っていたことを恥じたためである(2025年3月26日掲載「3つの理由②」)。蛇足にはなるが、2023年9月に秋篠宮殿下・妃殿下が、チャンパ王国のミーソン遺跡を訪問され、その歴史に触れられたことは記憶に新しい(宮内庁公式サイト)。

 

さて、ここから3つ目、4つ目の理由を簡単に書かせていただく。

 
3つ目の理由~インドの急成長と環境課題を見つめて

首都デリーにあるショッピングセンターは多くの買い物客で賑わっていた。
首都デリーにあるショッピングセンターは多くの買い物客で賑わっていた。

まずは3つ目の理由から。インドは現在世界最大の人口を抱え、経済成長が最も著しい国の一つである。人間と同様、急激な成長には痛みが伴う。巨大人口の衣食住が満たされ、生活が豊かになる一方、大気汚染は世界最悪の状態に陥り、数万の関連死と数十万の疾病を生み出していると言われている(CNN 2024年11月報道「世界最悪の大気汚染に見舞われるデリー、スモッグで前が見えない」)。
 
また環境破壊や水質汚染も著しく、地域差はあるものの、貧富格差の一層の拡大に影響を与えている。こうした情報を外部から入手することは重要だが、五感を働かせ、人々の暮らしぶりをその街並みや空の色とともにこの目で観察し、なにより空気を吸ってみなければ現況に係る十分な理解は得られないと考えた。

首都デリーに滞在中、真っ青な空を見ることはなかった。
首都デリーに滞在中、真っ青な空を見ることはなかった。

私は、昭和の高度成長期に横浜で生を受け、東京の大田区で幼年時代を過ごした。京浜工業地帯に隣接していたため、光化学スモッグなどにより学校閉鎖になることは日常茶飯事だった。時代をさらに遡ると、水俣、新潟、四日市、北九州などの地域では、大田区の比ではない極めて深刻な被害が出ていたが、真実の開示、公害対策、被害者の救済が遅れたため、住民の多くが著しい健康被害に苦しんだ。それらの史実は、昭和世代の人々の脳裏に焼きついている。インドは大丈夫だろうか、そう心配せざるを得ない。

 
4つ目の理由~シエラレオネでの出会いから広がるご縁

最後に4つ目の理由。私は仕事の関係から、ここ10年以上にわたり年の半分以上を西アフリカのシエラレオネで過ごしている。当地の日々の食生活の中で、和食がメインの自炊以外、印、中の他、レバノン料理などの店にお世話になっている。
 
ある週末、インド料理店でサイニと名乗る男性に出会った。デリーにある大学の国際営業部門のマネージャーとのこと。首都フリータウンでは昨今、特に小売業界におけるインド系人口の増加が著しいことをお伝えした(2024年9月4日「デジタルの湯~第三章」)。私は当初、彼もそのうちの一人だと思ったが、西アフリカの富裕層を対象にしたメディカルツーリズムや、学生を対象とした留学プログラムを紹介するために、フリータウンに滞在しているとの説明を受けた。そして私はそのサイニ氏から大学キャンパスへの招待を受け、急速に成長する国の教育機関を視察するには良い機会だと考えた。

キャンパスにて。
カメルーンからの留学生と談笑する筆者(左から2人目)。

大学の名前はSharda University。国際色豊かな私立の総合大学であり、キャンパス内の2か所に病院(総合科とがん専門)が併設されている。サイニ氏に案内され、校舎の一角をのぞくとアフリカからの留学生と思しき多数の学生に遭遇した。ここはアフリカか?そう誤解してもおかしくはないほど、コモンウェルスという大きな枠組みの中で、首都デリーとアフリカとの強い関係性を感じた。
 
また、医療技術やコスト面から母国では恐らく受けられない医療サービスを求めて訪問するアフリカやその他の地域からの患者は増え続けているらしい。院内に飾られた国旗からもそのことが見て取れる。

30か国以上の国旗が院内に飾られていた。
30か国以上の国旗が院内に飾られていた。

大学構内は一つの街さながらの規模。
大学構内は一つの街さながらの規模。

私は首都デリーの街の一部と、大学のキャンパス、そして観光で訪れたタージ・マハールを見て、インドの人口規模、広大な空間、経済発展の速度、各分野の技術の向上、人々の暮らしの変化を目の当たりにし、今まさに革命が起きているかのように感じた。開発とは何かを改めて考えさせられる貴重な機会であった。
 
次の便りでは、その一端をご報告させていただきたい。

 
 

 

この記事を書いたのは
鈴木 俊介(すずき しゅんすけ)
理事長


大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。

 
 


 

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