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うみがめ便り~コーヒーに魅せられた人生、ネパールの丘陵地帯へ(第二章)
2026/03/25
第一章で、コーヒーとの馴れ初めを書かせていただいた。
コーヒーには、主に低地で栽培されるロブスタ種と丘陵地や高地で栽培されるアラビカ種が存在する。インスタントコーヒーなどの製品に利用される前者と、豆を焙煎して飲むいわゆるレギュラーコーヒーに利用される後者が市場を分け合っている。
コーヒーの産地は、赤道を挟んだコーヒーベルトと呼ばれる、ただし砂漠などの乾燥地を除く範囲に位置する多数の国にまたがる。生産量を基準に国名を挙げると、約30%を占めるブラジルに続いて、ベトナム、コロンビア、インドネシア、エチオピア、ウガンダ、インド、ペルー、中央アフリカ、ホンジュラス、グアテマラなどがランキングの上位に並ぶ。これらの国々における生産量を合計すると、世界全体の8割を超えるらしい。
岡山駅に直結した高島屋の地下にある三喜屋さんで味わったブルンジのコーヒーは、噂に違わずとても美味しかった(2025年撮影)
上位11か国のリストに限って言うと、私は中央アフリカ産を除くすべてのコーヒーを口にしている。フランス在住の知人によると、ブルンジのコーヒーがとても美味しいらしいが、日本においては希少価値を反映した価格で販売されていることは間違いなく、口にする機会は多くない。百貨店のコーヒーカウンターなどにおいてプロモーション(特価販売)されているのを見つけたら、幸運以外のナニモノでもない。
第一章で述べたが、私は大学を出たての頃、渋谷に本社のある企業で働き、日本製品の輸出業務を担当していた。しかし、1985年のプラザ合意以降、円高基調が顕著となってから、利益の源泉が輸入業務に移行したことにより、私は米国、トルコ、東南アジア、中国から生鮮品や農産加工物などを輸入する業務を担当するようになった。米国から柑橘類や、果実の缶詰、中国からは冷凍野菜、トルコから果実や野菜のピューレ、そしてタイからは生鮮の野菜や冷凍の熱帯果実などを輸入した。
タイではアスパラガスをはじめとする農産物の輸出を担当した(1990年撮影)
タイのホアヒン近郊にあったアスパラガス集荷場の様子(1990年撮影)
すでにビジネスモデルが出来上がっていた取引を継続したものもあれば、タイを生産地とする農産物のように、業界の先陣を切って、と言えば勇ましいが、当たれば大きな利益につながるものの、一歩間違えば原価割れする博打のような開発輸入を、その後飛ぶ鳥を落とす勢いで発展したCPグループ(Charoen Pokphand Group)の食品企業とともに進めていた。現地で過ごす時間も長くなり、当時のうみがめにとって、美しい浜辺が多数あるタイは第二の故郷と位置づけられた。
コーヒーは、その第二の故郷での日々の生活を支えてくれた存在だった。特に、東はトラート、西はカンチャナブリー、北はチェンライ、南はホアヒンといった産地や工場を巡り、バンコクのホテルに戻ってシャワーを浴びたあとのアイスコーヒー、あるいは辛い料理を食べたあとのミルク入りコーヒーは、泡立つ飲料を飲めない私にとって、何ものにも代えがたいものだった。
私は、シーロム通りに面したCPタワー(当時のCPグループ本社)の18階にある事務所の机を借りて仕事をしていた。記憶に間違いがなければ、そのビルの1階か地下階に、スズキ・コーヒーが運営する洒落たカフェが入っていた。当時、カフェ文化が必ずしも定着していたわけではないバンコクの街において、それは珍しい存在だった。しかも、店名が自分と同じ「スズキ」であったこともあり、自然と親しみが湧き、私はしばしばホットやアイスのコーヒーを買い求めた。
CPタワー外観(2023年撮影)
なぜ当時のタイに「スズキ・コーヒー」なる会社が存在していたのか。その背景には諸説あるようだが、日本の企業がゴルフリゾートを建設したものの、時代を少し先読みしすぎたためか、期待したほどの収益を上げることができなかった。その結果、ゴルフ場をコーヒー農園として再開発し、誕生したのがスズキ・コーヒーだったという。ゴルフもコーヒーも当時としては最先端の試みだったと思うが、どちらかといえばコーヒーのほうが早くブームが到来し、若い世代の多いタイの市場に受け入れられたのだろう。
もちろん昨今では、カフェ、とりわけスターバックスに代表される、カウンター越しにコーヒーを受け取る手軽なショップ文化が世界を席巻している。いまや、どの国を訪れても、一定規模の都市であれば、そうした店を見つけること、美味しいコーヒーを口にすることに不自由はない。まさに、大英帝国の紅茶文化と、移民の国である米国発祥のフレンチ(イタリアン)カフェ文化の競合である。
勤務先の渋谷に続き、海外滞在先のバンコクでもコーヒーに魅せられ、私のコーヒー人生は海外生活と一体化しながら、その後も続いていくことになる。
(第3章へ続く)
通りすがりに見かけた「DEK CHA(デック・チャ)」の看板。タイティーやバブルティーなど、多彩なドリンクメニューが並ぶ(2023年撮影)

この記事を書いたのは
鈴木 俊介(すずき しゅんすけ)
理事長
大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。
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