うみがめ便り~うみがめ、ホンジュラスで協奏曲を聴く(前編)
うみがめは、立冬から冬至に向かう季節、そう、寒さと乾燥を迎える日本を離れ、西アフリカへの旅に再出発するところである。ただその前に、過去に誌面の制約により書きそびれたことがあったため、以下を記しておきたい。
ニュースレター秋号の「うみがめ日記」で、9年ぶりに訪問できたホンジュラスにおいて、過去に実施された事業の現況を書かせて頂いた。中でも、事業主体である相模原橋本ロータリークラブ(RC)とダンリRCの協力関係をAMDAホンジュラス事務所がとりもち、妊婦健診サービスの向上に資する活動を支えたことに言及した。
地元の公共保健施設に初めて供与された超音波診断装置が、綿密な導入と研修を経て、当初の目的通り効果的に活用され、妊娠に伴うリスクを減らしただけでなく、現在は乳がん検診にも活用され、効果が倍増したことに触れた。
一般的に、国際協力の代名詞となっている途上国支援は、一般の企業が行う営利活動や、中進国などにおける同様の支援活動と比較すると、相対的にコストパフォーマンスは高くない。特にガバナンス(統治制度や統治能力)に問題がある途上国の政府を支援の相手方とする政府開発援助(ODA)は、「穴がいくつも開いたバケツに水を注ぐようなものだ」と批判されることが多い。
一定程度の無駄を見越しつつ、戦略的外交の一環として支援せざるを得ない場合は仕方ないが、(納税者目線を加味すると)それも程度によるであろうし、本質的な部分は小さな民間レベルの支援も例外ではない。良かれと思って贈与した物品が最終受益者のために活用されない事例、あるいは能力の向上を意図した研修を実施したものの、実際の現場に活かされない、また成果が持続しない事例は少なくない。援助のミスマッチは、いつでも起こり得る。
原因の一つに、社会学的、文化人類学的背景や、支援の相手方が抱えている政治的、制度的な制約、そして財政事情などの要素がプロジェクトの立案時にあまり考慮されていないことが挙げられる。
誤解を恐れず簡略化すると、途上国の山村に学校、あるいは診療所を寄贈するプロジェクトを立案したとする。建設工事は完了したが、資格や免許を有する教員や医師、看護師が十分確保できない、あるいは、地元の行政やコミュニティが教室の家具や教科書、医薬品や消耗品を手当てできず、開校、開院が中途半端になるということは一般にあり得る話である。
計画立案時に、すべて丸抱えで支援するのはいかがなものか、自助努力を求めるべきではないか、と疑問を挟むことは正しい。そして、その疑問に対する説得力ある回答が得られなければ、事業の成立要件を満たさない可能性がある。また成果の持続性も担保されない。
他方、それ以前の問題として、(一般的にステークホルダー分析、あるいは関係者分析と呼ばれているが)当該山村の指導者や受益者をどこまで多角的に評価したかが問われることもある。つまり、評価によっては、当該山村は孤立し貧困度が極めて高く、自助努力を簡単には引き出すことはできない、従って丸抱えの支援もやむなし、という結論もまた正解であったかも知れない。
しかし、持続性の担保となる自助努力を初っ端から切捨ててしまうことには問題がある。ケースごとに時間軸と投入量に柔軟性を持たせる必要があり、その辺りの加減は、想像に易し、実行に難しであるが極めて重要である。事業と料理を比較する例えは不適切かも知れないが、20分程度サッと煮込んだ肉料理と、2時間コトコト煮込んだ肉料理との差ぐらい、味と食感(事業結果)に違いが出る。(後編につづく)
理事長
大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。
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