多くの人に支えられ、妊婦さんを迎えつづけるダンリ市「妊婦の家」 / 青年海外協力隊 本沢さとみ
外務省「日本NGO連携無償資金協力」にて建設し、2015年3月に開所した、医療施設から遠くに住む山間部の妊婦さんの宿泊施設である、ダンリ市「妊婦の家」は、その運営開始から2年半が経とうとする今も、順調に機能しています。
この「妊婦の家」はダンリ市住民たちからなる「妊婦の家運営委員会」により運営されており、30床のベッドと24時間体制の看護師、警備員を抱える施設にかかる経費はすべて、この運営委員会が資金創出のための活動を行うことによりねん出しています。この2年半、継続して運営することができたのは、メンバーの努力の賜物と言えます。その陰で、日本人の力を発揮した心温まる協力もありました。
それは、ホンジュラス共和国エル・パライソ県テウパセンティ市にJICA青年海外協力隊員として派遣されていた本沢さとみさんの活動です。テウパセンティ市はAMDA-MINDSの事業対象地域ではなかったものの、本来であれば「妊婦の家」を利用すべき妊婦さんがたくさんいる地域でした。そこで、同市で活動をしていた本沢さんが、テウパセンティ市からもより多くの妊婦さんが「妊婦の家」を利用できるよう、広報活動に協力してくださったのです。また、本沢さんは、活動場所である保健所で粘り強く募金活動をし、これを「妊婦の家」に寄付する活動を実施してくださいました。常に笑顔でダンリ市「妊婦の家」の運営を支援くださった本沢さんに活動の詳細を紹介していただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本沢さとみ
私はホンジュラスの東に位置するエルパライソ県テウパセンティ市の保健所で助産師として活動をしていました。保健所の主な仕事は一次医療や啓蒙活動です。テウパセンティ市は大きな市でありながら分娩を扱う施設はなく、病院等で出産する場合はバスで約2時間かかる隣のダンリ市まで行かなければなりません。もし陣痛が始まって病院に行ったとしても、まだ産まれないからと、一度自宅へ帰るように言われることもあります。その場合、ダンリ市に家族や知り合いが住んでいればよいのですが、住んでいない場合は遠い道のりを帰らなければなりません。また病院にたどり着く前にお産が進行してしまい、病院で出産したかったのにできなかった方もいました。そのような方たちのために、AMDA-MINDSが建設した妊婦の家があります。その施設では、妊婦さんたちは陣痛が来るのを待てるのです。ダンリの病院のすぐ近くにあり、看護師さんが常時待機しているので、陣痛などが始まった場合、病院まで付き添ってもらえます。
妊婦の家は、私が配属される5か月前から運営を開始されました。任地において、妊婦の家についてはラジオで周知したり、妊婦に情報の紙を保健所で渡したりはしていました。しかし、地域分娩、つまり施設で出産しない妊婦さんたちが半数近くに上っている任地において、もっと周知徹底をするべきだと考えました。そこでAMDA-MINDSの同伴の元、妊婦の家へ訪問させてもらいました。それらの情報を元にして、保健所の壁に掛ける掲示物とパンフレットを作製し、パンフレットは妊婦に渡していた紙と差し替え、またそれらを用いて毎回の母親学級で妊婦の家の紹介をしました。
妊婦の家主催のチャリティーマラソンがあり、待合室で妊婦の家の紹介と募金活動を毎朝実施しました。そのマラソン大会終了後も、保健所において自主的に募金活動を実施しました。10レンピーラ(約50円)以上募金してくれた方に折り紙のプレゼントをしました。その効果もあってか、約一年間で、4,887レンピーラ(約24,000円)以上のお金を集め、妊婦の家に寄付することができました。妊婦の家の利用状況については、AMDA-MINDSの方から教えてもらっていました。周知徹底前の利用者は平均月2~3名でしたが、周知徹底を始めてからは平均月8~9名の方が利用され、全体の数からみると20%前後を占め、他の地域と比べ高い割合になっています。
妊婦の家についての情報提供や募金活動だけでなく、妊婦の家においてダンリ市で活動していた同期隊員と共に、月一回のペースで講習会をさせてもらっていました。出産間近の方々に対して陣痛が来やすくなるようにと、足湯や体操、マッサージを一緒に実施したり、胎児がどのようにお腹の中で成長していくのかというDVDを観てもらったりしました。妊婦さんたちは笑顔で楽しみながら参加してくれていたので、私たちも毎回楽しく行うことができました。