国際青少年デーに寄せて~青少年と共に進めるコミュニティづくり
毎年8月12日は、国連が定めた世界青少年デーです。
第1回青少年デーが実施された2000年、国連は「第1回『国際青少年デー』においては、世界行動計画ならびに、青少年のための、青少年による、そして青少年と共に進められる同計画をいかに実施するかに焦点が置かれるべきである」とした。「世界行動計画」には、「青少年は大きな社会的変革を引き起こす当人であり、受益者であり、また犠牲者である。また総じて、既存の秩序に組み込まれようとしながら、一方ではその秩序を変革する原動力となるという矛盾に直面している。青少年は、世界のあらゆる場所で、さまざまに異なる発展段階の国々、そしてさまざまに異なる経済社会的状況に住んでおり、社会生活への完全な参与を熱望している」と書かれている。
これらの若干小難しい文章の意味は私には理解しがたかったが、ホンジュラスで2013年から実施している「首都テグシガルパにおける青少年育成を通じた住みやすいコミュニティづくり」事業は、体感でこの意味を教えてくれている。
上記事業名は「青少年育成」を通じた「住みやすいコミュニティづくり」としているが、最近になって実際はその逆で、「住みやすいコミュニティづくり」を通じた「青少年育成」ではないか、と感じることがある。どちらが先か、という議論ではないが、「住みやすいコミュニティづくり」を目指した地域での活動、いわば、日本の夏祭りや清掃活動、地区民運動会といった「町内会活動」のようなものをイメージしているのだが、その活動の中でこそ、青少年の成長が著しいという現実を垣間見ているからだ。
以下、普段あまりどこにも紹介することのない、事業で関わるホンジュラスの青少年たちが「成長した」と個人的に感じる会話や出来事を紹介したい。
学校に毎日来るが、授業にはほとんど出ず、たまに教室に顔を出すと、教員からも、できれば授業に出ないで教室の外に出ていてくれ、と言われるジピィ(ニックネーム。ホンジュラスでは青少年が変なニックネームを持ち出すと、悪いものに手を染め始めているとも言う)。最初は町内会の会合に来てもすぐに会合を抜け出すか、おしゃべりをして怒られるのが常であった。今では青少年のリーダーとして青少年たちを取りまとめ、会合には時間を守って必ず出席し、「他のみんなは恥ずかしがって言わないけど、青少年を代表して言わせてもらうと、みんなこんな機会をくれたAMDAには感謝しているんだ。」と大真面目に話してくれる。と、「だからコカ・コーラおごって」と続けるお茶目さも憎めないところ。
授業中も含め、普段、常にぼーっとしていて、あまり発言もせず何を考えているのか全くわからないアルマンド。町内会敬老イベントの時には「ねえ、あのおばあさんも参加してくれるように誘ってきた方がいいよ、僕言ってくる。」「あの二人参加者リストにまだ記入してないはず、名前聞いてくる。」と普段からは信じられないくらい気が利いて痒いところに手が届く。
変な髪型と大き目ピアス、裾だけキュッとしたパンツ。そのいで立ちが悪い不良を物語るトゥキー(やはりニックネームである)。普段の週末は何をしているか、という質問に「俺?午後1時まで寝て、その後飯食って、その後ケータイいじってまた寝る。だから毎週町内会活動やりてー、あ、週末だけじゃなくて、平日もそっちの方が学校行くよりいい。」というだけあって、毎度のように寝坊はするが、どんなに活動場所が家から遠くても遅れて自力で現れる。
両耳で7個のピアス、心のスイッチがオンの時はものすごくいい動きをするが、スイッチがオフの日は全く機能しないジェシカ。以前はオン:オフ=5:5くらいだったが、最近はオン:オフ=8:2くらいになり、町内会活動では常にオン。
学校の先生から「AMDAから何とか授業にまじめに出るように話してくれないか」、と教員がお手上げ状態の授業態度のニクソン。町内会活動ではその細長い体からは思いもよらない力で黙々と重い機材を早朝から運び、どんなに遅くなっても最後まで片付けをやり遂げる。
「明日は、来れないと思うんだ。せっかく企画したイベントだから来たいんだけど、刑務所にいる兄さんに会いに行ける日だからさ。兄さん、会いに行かないと寂しがるんだよね。イベントの話したら兄さんも行きたがるだろうなー」と自分の予定をきちんと町内会メンバーに説明して、欠席を伝えることができるようになったケビン。
四六時中、お化粧と髪型のセットに余念のないジュリエット。研修中も気になるのは鏡。恥ずかしがり屋で、授業中の発言はほとんど聞こえない。そんな彼女が町内会イベントでは「会場はこちらです、どうぞ私についてきてください。」とハキハキ来場者を案内する。
他にもたくさんの青少年を紹介したいところだが、それはまたの機会として、ここに挙げた通り、「住みやすいコミュニティづくり」の活動が「青少年」を「育成」し「成長」させていると感じる。
そして、その陰には青少年たちを見守る大人たちがいることを忘れてはならない。
「オニババア」と青少年に言われながらも「机は座るものではありません、椅子に座りなさい」とわが子を叱るかのように、地域の青少年を愛情を込めて躾けるアンヘリカ。「まあ、なんて素敵なお花を作ったの!天才的よ!本当に素晴らしい!その調子で向こうも飾り付けましょう。」と笑顔で青少年たちをおだてて作業させるのがうまいミリアン。毎回、活動の写真を撮りまくるので、女の子たちから毛嫌いされつつも、なかなかの素敵な写真を撮り、事業の広報、報告、フェイスブックに即座に掲載してくれるフェデリコ。青少年、大人ともに誰が欠けてもならない、重要な町内会メンバーとなりつつある。
ここで冒頭の青少年デーの目的に戻ると、まさにそこに挙げられている「青少年と共に進められる」「社会生活への完全な参与」に向けて動いているのではないかと感じる。