理事長ブログ「うみがめ便り~近未来社会とカメ」

2022/12/12

鶴は千年、亀は万年。数字は真実を表現したものではないが、一般的に、カメが他の生き物より寿命が長いことは事実で、200歳を超える個体の存在も報告されている。特に陸ガメが長生きする理由は、良く言えば省エネ(低代謝)指向の生き方を実践しているからだという。動きは鈍いが、必要以上にエネルギーを消費しなくて済むため、老化速度が緩やからしい。
人間も、生命維持に必要な基礎代謝量が低く、それ故、活性酸素の産生も少ない女性の方が、そうでない男性よりも長生きする傾向にあることが証明されている。
 

 
ならばカメに倣い、じっとしていれば長生きするのか、と言うとそうは問屋が卸さない。摂取したエネルギーが脂肪として蓄えられ、筋肉量が落ち、身体機能が低下したりすると、病気にかかりやすくなる確率が高まる。従って、長生きするためには、恐らくその中間あたりを狙った生き方をするのが良いのではないかと推察できる。
 
もちろん、体質や生活環境等に個人差があり、日本人共通、人類共通の正解を得ることは難しい。しかし、高齢期を迎えた人がもし長生きを望むのであれば、日々弱体化する自身の身体機能と対話しつつ、過度な代謝(運動)を避け、非感染性疾患を予防しながら、無理なく年齢を重ねていくことが鍵となろう。
 
WHOの定義や、国内の複数の法令によると、高齢期は65歳から始まる。そして74歳までを前期、75歳に達した人を後期高齢者と呼ぶ。高齢者が多すぎても少なすぎても良くないが、日本は超高齢社会を迎えており、逆三角形の人口ピラミッドを形成しつつある。
 

(出展:総務省統計ダッシュボード)

 
将来に対する社会不安は日々増加し、このような状況がさらに深刻化すれば、機微に聡い若者は、行き詰まるであろう社会を嫌い、また重い税負担を逃れるために、早々に日本を脱出するであろう。
その結果、若年人口は一層減少することになる。少子化対策待ったなしと言われてすでに半世紀近くが経過しているが、人口課題(超高齢社会と少子化)という病魔は激痛を伴わず、徐々に、ひたひたと悪化の一途をたどったため、政治が真剣に向き合うことをかえって妨げてしまったようである。
 
日本沈没を防ぐためには、妊娠・出産・子育てに対するいっそうの支援と、子ども・子育てにあたたかい社会の実現にはじまり、高度技能の有無を問わない移民の受入れと、国籍・入管に係る法令の改正、自治体による受入れ体制の強化を推進しなければならない。
そして、(社会保障費の削減に依存しない場合)高齢者による労働(納税)の奨励と、年金の更なる繰り下げ受給の奨励など、既存の取組みを十分進めた上で、より画期的な方策が複合的に施行されなければならないだろう。
 
驚くべきは、超高齢社会の現実(暗雲)は日本だけにとどまらず、中進国、途上国を問わず、数年後、数十年後には、アジア全体を覆いつくすことになるということだ。国際協力の世界に身を置く人間として一つ言及すると、その時、日本が他国に対して示すことのできるお手本、処方箋を持っているかどうかが極めて重要になる。
 

 
どの選択肢も、選挙の勝敗に影響を及ぼす政治決断を必要とするが、恐らく、高齢者にむち打つ施策が実施上もっとも容易で、経済的に失うものも少ない政策なのかもしれない。だが、ニンジンも用意してもらいたい、高齢者にもっと優しい社会を築いて欲しいと思うのは私だけではないはずだ。
 
超高齢社会の日本では、高齢者が老後をカメのようにのんびり暮らし、余生をゆっくり歩むことは難しく、膨大なエネルギーを費やし、労働の提供、技術の革新、経済価値の創造に寄与する活動に勤しまなければならない。それ自体は素晴らしいことであるが、その論理的帰結として、医療環境などの外部要因に変化がなければ、平均寿命の低下は避けられない。
それ故、社会福祉に係る歳出は減り、国家財政のひっ迫が部分的に解消され、また若年層の離日も軽減されるであろう。こうした高齢者の身を切る活躍、たゆまぬ社会貢献が日本の将来を救うかのようである。
 
カメの穏やかな一生は、近未来社会に生きる高齢者の生き方に対するアンチテーゼであることに今気がついた。歩みののろいカメさんが勝利する方程式に勝る新たな方程式は見つかるだろうか。
 
 
 

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この記事を書いたのは
鈴木 俊介(すずき しゅんすけ)
理事長


大学で法学と国際関係論を学んだ後、民間企業に就職。国連ボランティアとして派遣された国連カンボジア暫定統治機構や、国連南アフリカ選挙監視団における経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。米国の大学院で国際開発学を学んだ後、ミャンマーでのプロジェクトへの参画を経て、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々なプロジェクト運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは鬼ノ城跡、豪渓。神奈川県出身。

 

 
 

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