うみがめ便り~コーヒーに魅せられた人生、ネパールの丘陵地帯へ(第一章)

2026/03/10

いつの頃からか、うみがめは禁断の飲み物をたしなむようになった。アップルジュースのことでもアルコール飲料のことでもない。炒る、焙煎といえば上品に聞こえるが、要は果肉や内皮を取り除いたチェリーの種を黒く焦がし、細かく砕いて擦り出した、あの一見「健康」という概念とは真逆にも見える飲み物である。

 

「赤い宝石」とも呼ばれるコーヒーチェリー(ネパールの事業地にて)
「赤い宝石」とも呼ばれるコーヒーチェリー(ネパールの事業地にて)

 

そもそも論ではあるが、焦げた粉に湯を注ぎ抽出された黒い液体を体内に取り込むことが、果たして「健康的」と呼べるのだろうか。年間に何百杯も飲み続ければ、消化器はどす黒く染まってしまうのではないかという不安すら覚える(幸い、健康診断の際の胃カメラには、とても美しい食道と胃部が映っていた)。

 

しかし、この禁断の飲み物は不思議な存在である。香り高く気分を落ち着かせ、その中に含まれるポリフェノールの一種であるクロロゲン酸は、抗酸化作用や血糖値の上昇抑制に寄与し、疾病予防や健康維持を促すとされる。適量なら健康に寄与する嗜好品と位置づけられる。一方で、個人差はあるものの、カフェインによる覚醒作用や胃酸分泌の促進など、体への負担が指摘されている。「禁断」と記したのは、それが習慣性を伴うこと、そして日常に静かに入り込む力があるからだ。

 

業務で海外に滞在中でも、コーヒーの時間はほっと一息つけるひととき
業務で海外に滞在中でも、コーヒーの時間はほっと一息つけるひととき

 

うみがめは、社会に出たての頃、就職した会社の事務所が渋谷の道玄坂にあったことからその界隈でよく「お茶」をした。その後事務所が宮益坂に移った時(今はもうその場所にはないが)、近所にはカフェ・ラ・ミルとドトールコーヒーがあった。店構えも一杯の価格も対照的であったが、その時々の目的に応じて、どちらにもよく足を運んだ。冒頭、「いつの頃からか」と自問したが、恐らくこの頃だったことは間違いない。

 

ところで、私はUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)という国連ミッションの一員として1992年から93年にかけてカンボジアに駐在し、カンポット州のチューク郡で選挙管理官・市民教育官という任にあたった(詳細はこちら)。

 

その時、同じ州に勤務するもう一人の日本人がいた。すでに他界されてしまったが、その名を岡村眞理子さんといった。彼女はミッション終了後、カンボジアの教育分野を支援するため「カンボジアに学校を贈る会」というNGOを立ち上げ、晩年は病魔と闘いながら、同国の次の世代を育成するために尽力した。不思議な縁ではあるが、カフェ・ラ・ミルは、2010年にドトールコーヒーの傘下に入り、またドトールコーヒーは、2000年から2010年まで、「ドトールありがとう募金」という店頭の募金箱を通じて、彼女が代表を務めるNGOの活動を支えた。そして支援第一号となったのは、私が駐在したチューク郡の学校だった(詳細は同募金公式ページから)。

 

岡村さん(左端)とカンボジアにて(著者右端)
岡村さん(左端)とカンボジアにて(著者右端)

 

うみがめは、決してコーヒー通を名乗るつもりはない。だがその後もコーヒーを飲み続け、西アフリカにおける滞在が長くなった今も、日本から持参した豆を挽き、またドリップパックを活用し、一日2~3杯程度ではあるが、コーヒーの香りに包まれた至福の時間を過ごしている(現地では、欧州、中東からの輸入品がスーパーに置かれていて購入することも可能であるが、物価高騰に加え、円安となった今は手控えざるを得ない状況に至っている)。

 

西アフリカ某国のスーパーにて。中には6千円を超える商品も!
西アフリカ某国のスーパーにて。中には6千円を超える商品も!

 

コーヒーを評価する際、一般的に産地が重要な要素となるが、前提として、平地で栽培されるロブスタ種と、丘陵地~高地で栽培されるアラビカ種、そして希少価値の高いリベリカ種に大別される。アラビカ種は朝晩に霧やもやがかかる、湿度の高い場所で育ち、かつ日中との温度差が大きくなることから、フルーツとして良質で高い評価を得ている。樹木の年齢や、有機、低農薬などの要素もフルーツの評価を左右し、加工や乾燥の方法は豆の出来に影響を与える。焙煎後の豆や粉は、苦味、コク、酸味、香りなどの要素によって特徴づけられる。人々はそれらのバランスを比較して、好みの味と香りを選び至福の喜びを得ることになるが、やはり焙煎者の技術(もしくは焙煎機=ロースターの品質)とその際に注入される焙煎者の情熱、思いに左右される側面が大いにあることは否定できない。

 

さて、ここまで恐らくは皆様に既知であろう話をつらつらとお伝えしてしまった。しかし、これが私のコーヒー物語の序章であり、人生の一部をご理解いただくにあたり重要なピースになると考える。ただこの物語は、私個人に限定されるものではなく、現在、アムダマインズという組織の物語にもなりつつある。その関連性について、この誌面(否、画面)を通じてお伝えしたいと思う。(第二章へ続く)

 
 

 
 

この記事を書いたのは
鈴木 俊介(すずき しゅんすけ)
理事長


大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。

 
 
 


 
 

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