うみがめ便り ~ デジタルの湯(第一章)~

2024/08/05

西アフリカの陸地に上がり、のんびりと探索している間に少し時間が経過してしまったが、前回の寄稿で序章を書かせて頂いた。一面的であり、その正誤は定かでないが、アナログとデジタルの世界の特徴を湯船に置き換えてお伝えした。
 
アナログの世界では、ぬるま湯に浸かっているかのような柔和な居心地を感じることができる。
学校の成績は、10段階の7ではなくBと表記される。デジタルの世界は、例えば摂氏22.5度の水という数字の正確性は別にして、他に解釈の余地なく表示されることから明瞭で理解し易い一方、「冷水」に包含される多様な意味合い、柔軟な見解が否定される可能性もあり、それを水風呂に例えた。
ただし、二つの世界は対立するものではなく、また相互離反するものでもない。
 
縄文と弥生という二つの文化が並立したように、アナログとデジタルは共存する。従ってアナログは古くデジタルは新しいという見方も一面的である。ただ、生成AIに代表されるように、様々な情報がデジタル化され、蓄積、分析、生成されていくプロセスは驚愕の域を超える。
 

話は変わるが、私は(わずかな額であるが)貯蓄の一部を投資に回している。個別銘柄への投資は価格変動の場面々々で損をすることもあるが、日本の株式相場が急落する局面でも、投資信託(積立型)は、国内外、特に新興国への投信商品も一定の含み益を維持している。
 
最も典型的な商品がインドの証券取引所に上場している銘柄を対象とした投資信託である。数値化された業績評価等に基づきポートフォリオが組まれ、我々顧客は少額からでも安心して定期的な長期投資を行うことができる。
 
利益の根源は、好調なインド経済と上場企業の成長にある。過去のバブル崩壊やリーマンショックなど、この世界の数値の裏側には、時として悪材料や虚構、あるいは、事実に反するうそなどが隠されていることがあるため要注意である。ついこの間まで、一部の批評家から、(パキスタンや中国を念頭に置いた)地政学的リスクや、同国内の地域間、階層間の経済格差に加え、宗教色が濃い政権運営や過度の人口増に係るリスクが提起されていた。
 
従って、実質的な離陸はまだ先の話だという評価を受けていたインド経済や企業群は、果たして、8%を超えるGDPの成長率や、株価上昇に示された数値を反映するような実態があるのだろうか。多くのにわか投資家は、そのあたりの分析を専門家に委ねている。
 

少なくとも金融商品を購入する際、必読とされている目論見書にひと通り目を通すものの、そこに記載されている内容、特にリスクに係る内容を理解することは容易ではない。ましてや、その裏側の事情を察することは極めて難しい。また、投信商品に人気が集まり、特定の株に買いが集中することで株価の上昇につながるという側面、またその逆もあり、業績だけが株価の決定要因になるわけではない。
 
日本経済ですら、デフレ論やインフレ論が交錯し、好況なのか不況なのか、また円安のままで良いのかどうかよく分からない。ましてや、遠く離れたインド経済のことなど分かるはずもない、というのが正直なところだ。
 
ところが、注意して周辺を眺めてみると、いつの間にかインド系の人々が傍にいる世になった。急速な膨張によって急拡大、急転回するインド本国からスピンオフして他国で経済活動に従事する人々がいかに多いことか。元々、大英帝国による植民地統治を支えていたのが有能な行政官であり、またビジネスマンであったインド人である。そうしたインド系人口の子孫(印僑)は、旧植民地のアフリカ東部や南部、中東などでは珍しくなかったが、今や彼らの存在は植民地時代の地理的枠組みを超え、本国から世界市場に打って出てきている。
 
日本においても、まだ少数であるが、例えば東京都の統計によると、10年前の東京におけるインド国籍の居住者人口は約8千人であった。しかし今年の4月の統計では、1万8千人と示されており、125%の伸びを示している。外国人居住者全体の伸びが66%(396千人→659千人)であることを考えると、顕著な伸び率の高さがうかがえる。
 
不動産や金融に強いと言われている華僑と比較し、印僑は、組織経営や高度専門分野に強いと言われてきた。そして昨今、特にIT分野において目覚ましい発展をとげている。
米国カリフォルニアにあるシリコンバレーと、インドのIT都市(ベンガルールやハイデラバードなど)が昼夜交代で情報共有を行い、ハイテク産業、バイオ産業などのシステム構築を手掛けてきたとのこと。IT都市は、学術都市でもあり、技術の開発と人材の育成に寄与している。こうした素地があり、そこから様々なビジネスが派生し、その一部が海外に進出、または輸出されている。英語圏の一部であること、多様な文化や宗教が内在していること、論理的思考に長けていることなどを背景に、研ぎ澄まされた矢(デジタルの申し子)が全世界に向けて放たれていると言えるであろう。(第二章に続く)
 
 
 

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この記事を書いたのは
鈴木 俊介(すずき しゅんすけ)
理事長


大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。

 

 
 

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