うみがめ便り~コーヒーに魅せられた人生、ネパールの丘陵地帯へ(第四章)
1994年8月~96年5月までの約2年間、私は米国の大学院に通い、国際開発学を学んだ。しかし、学び方は軍隊式と言っても過言ではなく、かなり重厚だったため、むしろ、大脳に加え、心身を鍛えられたと言っても良い。学期ごとに選択した、それぞれの授業で指定された(分厚い、時に複数の)課題図書を読み込み、内容の要約と自身の考え方を書き上げる宿題-Position Paperという短い論文-を一週間後の次の授業までに仕上げることが求められることが多かった。日々是決戦、学内の図書館に深夜0時の閉館まで詰め、寮に戻ってからも自習室にこもる毎日、読書と執筆に追われ、さらに生活費を稼ぐためのアルバイトにも時間を費やした。人によっては憧れの街、ニューヨークに滞在していたにもかかわらず、芸術や文化を満喫する余裕はなかった。
大学院の二年目、私は何度も悪夢にうなされた。卒業に必要な単位が取れず卒業できないという悪夢である。多量の宿題に追われ、ようやく眠れたと床に就いたら悪夢にさいなまれる、そんな毎日だった。殺伐とした日々の中、時間だけが加速度を増して過ぎていった。そんな中で、時折立ち止まることができた瞬間があった。そしてその手には、いつもコーヒーカップがあり、立ち上る香りにひと時の幸せを感じた。コーヒーは焦燥を鎮め、心を整えてくれた。ベンチに腰かけ友人と交わす言葉に優しいひとときが宿った。コーヒーは、過酷な日々の中で唯一、私を人間らしく保ってくれる小さな灯火と言ってもよかった。私が大学院を卒業することができたのはコーヒーのおかげだと、今でも思う。
上記留学の前後、一時的に神奈川県の実家に身を寄せていた頃(1990年代半ば)の好みのコーヒーは、香りが良く、程良いコクと酸味が調和し、そしてフルーティーな味わいが特徴のインドネシアのトアルコトラジャや、エチオピアのモカに代表されるコーヒーだった。元々他の豆と比較して高価だったトアルコトラジャは、近年栽培コストがかさみ、希少価値が一層高まってしまったため、容易には購入できないが、当時は、近所の住宅街を対象にした(割引制度を伴った)訪問営業があり、キーコーヒーの販売員さんには大変お世話になった。(トアルコトラジャに関心のある方はどうぞ)
大学院を無事に卒業した自分へのご褒美として、卒業式の後、ニューヨークから中米グアテマラの古都アンティグアへ飛び、スペイン語の習得を目的に、約1カ月滞在した。大学院の一年目に優秀な学部生が集う語学クラスで受講したスペイン語は、二年目の授業についていけず離脱したため初級程度にとどまっていたが、この機会に何とか準中級レベルへ引き上げたいと考えた。もちろん、限られた期間での挑戦は容易ではなかった。

語学学校では先生と生徒が1対1で向き合うマンツーマン授業が行われ、宿題も多かった。住居は、学校近くでホームステイとホステルを経験した。通学路には広場があり、その周囲に市場もあった。下校途中よく焼きトウモロコシを買った。炭火にあぶられた香ばしい匂いが漂い食欲をそそった。だが、粒は硬く、かむたびに顎の筋肉が痛むほどだった。それでも食べ続けた。歯茎を鍛えるつもりでもあり、何よりも生活の中でスペイン語を使える喜びがあったからだ。買うときのやり取りや、屋台の人との会話が日常に溶け込み、言葉が学びから確かな実感へと変わっていった。

私はアンティグアでもコーヒーの恵みに授かった。通学路の途中に、もくもくと立ち上り、それが充満する店内で焙煎した豆をフィルターで丁寧に淹れて販売するお店があった。店主はインドの山中で瞑想修行をする仙人のように髪の長い、痩せた中年の男性で、客の好みに合わせて、濃い目、薄目など、味を調整してくれた。私はいつも水筒を持参し、語学学校の授業の合間などに飲むため、やや濃い目の、コクのあるコーヒーを3杯分程度購入した。今思うと、贅沢で幸せな毎日だった。
グアテマラにおけるコーヒーとの出会いは、味覚の引き出しをもう一つ加えたという意味で、コーヒーとの関係性が新しい段階に入った瞬間だった。仙人のお勧めによりフレンチローストに近い、深入りで苦味とコクが特徴のコーヒーも、私の嗜好の守備範囲に含まれるようになったからだ。それは、風味(香り、酸味、苦味、コク)と煎り方、産地などによって特徴が示されるコーヒー分布図のほぼ9割を自身の守備範囲に置いたことを意味する。
それから数年の時が過ぎ、私はネパールの首都カトマンズのカフェのテーブルに座り、誕生間もないであろう「ネパールコーヒー」を味わいながら、グアテマラで過ごした日々を思い起こしていた。その際に飲んだコーヒーの味がグアテマラのあの仙人のコーヒーに似ていたからである。(次章に続く)
理事長
大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。

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