うみがめ便り~コーヒーに魅せられた人生、ネパールの丘陵地帯へ(第六章)
なお、本ブログは、アムダマインズ理事長の鈴木が、コーヒーをテーマにこれまでの歩みを振り返りながら、ネパールとの長年にわたる関わりについてつづったものです。
これまでのブログはこちらから
第一章:コーヒー物語序章
第二章:渋谷・バンコク編
第三章:カンボジア・ニューヨーク編
第四章:グアテマラ編
第五章:ネパール編~駐在時代
2008年、アムダマインズに一人の大型新人M氏が入職した。身体が大きかったわけではなく、非常に高い才能を秘めた女性だったという意味である。一つ難点を挙げるとすると、それはややプライドが高く、相当年上の私から見ても気が強い側面を隠しきれていなかった点である。それが当初の業務にどのような影響を与えたかは分からないが、年齢を、否、経験を重ねるにつれ、その部分は薄れていったような気がする。

M氏は大学でヒンディー語を学び、その後スリランカでシンハラ語を、そしてネパールに赴任してからはネパール語をマスターし、ネパール人と喧嘩をしても負けないくらいの才能を開花させた。サンスクリット起源の3つの言語をマスターしたことで、南アジア言語のスペシャリストと言っても過言ではない。私はM氏の現地における日々の業務をつぶさに見たわけではないが、彼女と初めて交渉するネパール人は、彼女の語学力と論理性に皆驚き、手強い相手だと一目置いたに違いない。
私とM氏の関係は、かつては上司と部下、現在は上下関係が薄れ、敢えて言うならカレーランチ仲間と言って良いであろう。一時帰国の折、岡山における滞在時期がたまたま一緒になると、スパイスカレーのお店を紹介してもらい、都合が合うと一緒にランチを食べるようになった。研究家な彼女であれば、ブームだけに左右されない本格的なスパイスカレーのお店を経営できるに違いないと思った。しかし、半分残念であるが、彼女の研究テーマは、実はカレーではなくコーヒーだった。
ネパールにおけるM氏の駐在期間は長くなり、合計15年を超えるようになっていた。自身の希望や、ネパール語が堪能であり、同国の社会、文化、宗教等に関連し卓越した知見を備えるようになったことに加え、事業運営や戦略性に関しても年々実力を高めたことにより、事業展開の可能性は大きく広がった。従来、ネパールにおけるアムダマインズの強みは母子保健や非感染性疾患を主とした保健分野のプロジェクト運営であり、加えて、2015年に発生した大地震後の緊急救援と復興を目指したプロジェクトを中心に活動が進められてきた。農業分野に関する経験値はまだ十分でなく、特に、コーヒー栽培に対する技術協力のアイデアは復興支援事業を運営する中から生まれ、支援する力は、相互学習の中で培われたと理解している。

復興支援プロジェクトは、被災地となったカブレパランチョーク郡(カブレ郡=Kavre)とダディン郡を対象に住宅再建などの活動が行われたが、彼女は、その後カブレ郡を対象に実施された震災復興支援プロジェクトに取り組む中で、商品作物としてのコーヒーに可能性を見出した。過去のニュースレターなどの記録から推測すると、恐らく、2018年~2019年の頃、コロナウイルスが猛威を振るう前ではないかと考える。「ロックダウン」が敷かれたあとであれば、状況は一転していたと思われる(詳細はこちらから)。まさに運も味方した。
対象地域を何度も訪れ、住民との対話を重ねるうちに、農民たちが見よう見まねで栽培していたコーヒーが、地域振興の一つの手がかりになり得ると考えるようになった。最初の取り組みは、小さな支援から始まった。試験栽培を希望する農家に苗木を提供して導入のきっかけづくりを行った。また、既存のコーヒー栽培農家にも苗木を配布し、作付面積の拡大を後押しした。畑に苗が植えられていく様子を見ながら、手応えと課題の双方を感じていた。

その後、日本においても準備を進めた。岡山の事務所近くにあった焙煎所に通い、店舗のマスターE氏から珈琲の基礎や扱い方を学んだ。生産だけでなく、最終製品としての一杯に至るまで、コーヒービジネスの川下を理解することを意識した。こうした日ネ双方での努力の積み重ねにより、漠然としていた構想が、徐々に現実的な計画へと形をなしていったのである。カブレ郡のプロジェクトで協力関係にあった現地の団体に所属していたスタッフK氏、またネパールコーヒー栽培の第一人者であるB氏がパートナーとなり、国境を越えたチームが形成された。こうして、M氏の計画は大きな飛躍を遂げ、カブレ郡における作付け面積は徐々に広がっていった。

コーヒーは苗木を植えてから約3年で実をつける。2022年から日本に持ち込まれるようになった生豆は高い評価を得た。そのころ、彼女に珈琲道を説いたE氏が営む焙煎所は、岡山市内に本社を置く企業(以下、H社)と合併し、E氏のコーヒービジネスはH社の一事業となっていた。H社は、SDGsのすべてのゴール達成に寄与する取り組みの一環として、ネパールコーヒーの輸入と販売を通じた現地の零細農家支援を自社の重点活動に位置づけた。E氏はカブレ郡のコーヒー農園にも訪れ、K氏、B氏とともに、生産者に対して生豆の質を向上させるための技術的助言を行った。こうしたプロセスを経て、生産されたコーヒー豆の一定量をH社が輸入するという買付保証に類する合意も結ばれた。H社がカブレ郡のコーヒー農園から直接取り寄せ、岡山でE氏が焙煎した生豆は、個人のコーヒー愛飲家だけでなく企業のオフィスコーヒーとしても提供され、幅広い層の人に飲まれていると聞く。
こうして、アムダマインズのコーヒー栽培支援事業は大きな飛躍を遂げることとなった。

理事長
大学卒業後、民間企業に就職。その後国連ボランティアとしてカンボジアや南アフリカの業務に従事、様々なフィールド経験を通じて国際協力業界へのキャリアチェンジを決意。大学院で国際開発学を学び、ミャンマーにおける人間開発プロジェクトに従事した後、1999年、AMDAグループ入職。ベネズエラ、インドへの緊急救援チームを率いた他、ネパール、アンゴラ、インドネシアなどで様々な事業運営に携わる。2002年、AMDA海外事業本部長就任。2007年、AMDA社会開発機構設立。理事長就任。趣味は旅行、山羊肉料理の堪能。岡山のお気に入りスポットは表町商店街とオランダ通り。神奈川県出身。

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